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ゆきの日記

気ままに書きます

道理通りで元通り

さて、物事には道理という物がありまして、筋道が通っている事柄や事象が多いですね。

 

大きな、法律のようなその名の元に振りかざされている縛り付ける物で全てを統括出来たら非常に楽なのでしょうが、どうしても道理通りで上手く行く事ばかりではないし、それはつまり正論が往く道を其処退け其処退けで進んで行ける訳ではない事の意でもあります。

知的な人間の大好物とする所である論破であるとか、論理的なお話であるとか、そういった非常に尊く高貴な事だけでは説明が付かなかったり納得させられる事ばかりではなかったりと、世の中は、僕が言うには些か規模の大き過ぎますが、上手く行かなくて、それを上手く行かせようと四苦八苦する人間と論理の通じない人間が只管にぶつかり合ってなどしている様を見かけるのは少なくありません。

そういうのはどうしても理解している人間が理解しない、出来ない人又は理解しようとする気のない人間の為に少しレベルを下げて妥協点を見つけて行かなければなりませんし、論理だけで話を通そうとすると上手く行かない為に無理矢理論理を曲げて行かなければならない場合もあります。

 

話がメタ化し過ぎていて意味不明になっていますので、少し具体的にします、良くある事例で行けば、道に飛び出す子供とそこを通る自転車や自動車という話にしますか。

飛び出したら行けないと子供に教育しなければいけないのは親や学校等で、それは必ずしなければならずそれは義務なのですが、難しい事に子供の自制心は、昂って飛び出すのを防げる程に発達しておらず、している人もいるかもしれませんが、道理や常識的に言えば子供が気を付けるべきという話ですが、その論理的な正論だけでは上手くいく事は少なく、どうしても妥協等して、自転車や自動車が気を付けなければいけません。

これは先程述べた妥協点を見つける話と、論理的な正論だけでは上手く行かない話の一例です、言いたい事が伝わってると嬉しいです。

 

例えば高校の教育方針に不服であるとか、世の中の社会の腐った部分を打破したいだとか、そういう燃えている心は仕舞わなれけばならない時や、相手に合わせて上手くやって行かなければならない時もあるし、いわゆる一種の空気を読むとかその場に合わせるとかいう話にも通じるかも知れません。

世の中にはどうしてもお話が通じない人もいて、ネットでは口論になっているだとかもよく見かけますし、自分の信念を貫くのも大事ですが多少は妥協してその場に合わせて空気を読んできちんとした対応を取らねばならないと思いました。

これは自分に訴えかけるというか、言い聞かせてる文章的な意味合いも強いのですが、以上です。

 

 

 

追伸です、オーバーマスターの響がカッコ良くていいですね、全く関係ないけど。

あ、あと、タイトルは語感なので適当です。