ゆきの日記

気ままに書きます

雑談:最近思っていること

 こんばんは、ゆきです。半年前、「半年前の自分はばかだったなあ」と思っていましたが、今同じことを思っています。半年後のぼくも同じことを思うんでしょうか?

 

 最近思っていること。

 

 ※全体的に誤解のないように、めちゃくちゃ仰々しく書いてます。ゆるしてね!

 

 1、すごいものを実はすごくないんじゃないか?と思うこと。

 今まですごいと思っていたものが実はそうではなくて、うまく騙されているんじゃないのかな?みたいな疑いの目を向けるようにしてます。同様に、すごくないと思っていたものをすごいんじゃないか?と思う事にもしています。要はすべての事柄を見つめなおしているって書けば早いんですけど、なんか丁寧に書こうかなっていう気分だったので。でもこれって難しくて、すごいとすごくないの判断って絶対的なものではなくて、本当はすごいかもしれないし、すごくないかもしれないんですよね(すごいという単語に意味があるのではなくて、AであることとAでないことの議論にしても大丈夫)。

 例えば、半年前と今とで、すごいがすごくないに変わったとして、半年前と今とで何が違うかというと自分の中の判断基準が変わったということだけなんですよね(もちろんものことが変わった可能性もある)。つまりその判断結果が大切なのではなくて判断過程が大事だってことが言いたいです。それがいいことにしろわるいことにしろ(当然それの正しい線引きはない)、成長だとおもっています。

 実際今までそうであると思っていたことがそうでないと思えるようになるときってめちゃくちゃ頭がすっきりするんです(逆もしかり)。もちろんそれがそうでないという根拠は自分の中で示してあるし、自分の中ではそうであると思っていたころの自分を否定できるし。まあ難しいのがこれが誤りだという可能性がはちゃめちゃにあるということなんですよね。それってマジで自分だけでは解決できない問題なので、複数人で議論して、まあ現時点ではそれが良いかなという着地点を探すのが大切なんだと思います。

 逆に今まですごくないと思っていた(もしくはすごいかすごくないかの検討をさぼっていた)ことをすごいと思えるときもとても気分がいいんです。当たり前に思っていたこと、深く考えていなかったことで、実はすごかったんだ・・・という気付きを得るときですね。

 なんかこれ書いていて思ったのが、その時々ですべての事柄に対して思考をして、自分なりに答えをまとめて、日常で色々な勉強とか経験をして、たまにそれを振り返って自分の答えを修正していく作業ってめちゃくちゃ重要なのではないか?ということです。いやよく考えたらそれが「考える」ってことじゃん!って言われそうですけど、僕は考えるという癖が恐ろしいほどなかったので改めて書きとどめさせてください・・・。

 こっから偏見とか思い込みの話になりますけど、自分の中で知らないうちに、もしくはだいぶ昔に、そうであると思ってしまったものって上のような手続きを踏まないと更新されないままになってしまいますよね。当たり前の話です。つまりですよ、僕は今ままで一度そうだと思ったらあんまり深い根拠など探したりせずにそうだと思い込んでいたわけですよ。とても怖くないですか?もし皆さんにもそういうことがあったらですけど。前友人に言われて思ったんですけど、ぼくって洗脳とかされやすいタイプなのかもしれない。そういう点で言われたんじゃないかもしれないけど。

 まあ今けっこう自信をもってつらつらと書いていますがこれすべてが間違いで半年後には手のひらを返しているかもしれませんからね、こわいもんです。そういう点でちょっとは自分の考えに謙虚にもなりました。でも難しいもので、思考を経て自信がついてしまうこともあり、そういう点では自分の考えをより信頼しているので傲慢かもしれません。

 

 2、自分の思想をもつこと。

 思想をもつってどういうことなのか自分なりの定義として、「自分で取捨選択して行動すること」なんですよね。皆さんが各々思想を持っていて、それとの定義が違ったらごめんなさい。これってまあ大きく捉えたら1と通じていて、誰かが良いと言ってたものをあまり判断せずに良いと思ってしまうとか。難しいのが、思ってしまうのってぱっとした感性だから自分で信頼しちゃいがちなんですよ。だから1で話したように再検討しないといけない。思想って思考の上に成立するから、こういうこまごまとした思考を経て自分の思想が作られるんだと僕は思っています。

 で、ここから重要なのが、取捨選択の部分です。自分の考えをまとめたら、それに基づいて行動することが思想だと思っています。まあ行動は必ずしも要求されるものではないけれど、考えがあれば行動にも表れるでしょってことで。僕はちゃんと考えた末に行動しているんだ、みたいなのを最近心がけています。まあ真似することも多いですけど、真似するときにどういう考えで、どういう利点で真似するのか考えたり、真似しつつも自分はここを変えようってしたりちょくちょく自分の考えを入れるようにしています。いちいち言いはしないけど、自分なりにこうだ!みたいに考えることは多いです。

 なんだろう、思想を持つというのがいまだに自分ではできていないし、成長過程だと思うのでまとまった考えを書けないですね。ひとまず色々試行錯誤している期間ということで。

 一言で言うと行動するときには意図を持たせるということです。同時に、誰かの行動には意図があって(本人が認識していなくても)、自分の無意識の行動にも恐らく意図がある。というような視点を持つようにしてます。これはほかの文章で書いてます。

 

3、論理的に考えること。

 論理的に考えるのってなんなんだろう。具体的には、短絡的にものごとを考えないようにしています。これはつまりすべての可能性を考えるという事でもあって、また広い意味では1にもつながるんですけど・・・。文章を書くのが下手でわかりにくいや。本当にAだからBなのか?要因はそれだけ?みたいなことを考えるようにしています。相関関係と因果関係の区別をがんばるみたいな感じです、ニュアンス的には。AならばBであることと、BならばAであることは常に同じではないみたいな(正解は、AならばBであるとき、BでないならばAではない。詳しくは対偶とかで調べてネ)。これTwitterにも書いたんですけど、論理的というのを割と自分の領地みたいな感じで考えています、ここからここまではひとまず合っているよね、てことは次はこうだよね、みたいな(それが客観的にみて正しいかどうか一人じゃ判断できないというのが悩みですけども)。

 こういう考え方をすると1みたいなのが起こる起こる、インターネットとかテレビとか、本当に変なことだらけでびっくりします。いやまあそれが本当に変なのかどうかは(以下略)。

 

 で、これらのことを割と最近はよく実践していて、練習というか、アウトプットとして人と会話したり文章を書いたりという感じです。けれども難しいですね、自分の倫理的思考が正しいとは限らないし、かといって自分の思考を大きくすぐに変えるのも難しい。もちろん自分が間違っていると思ったら素直に訂正するようには気を付けていますが。

 

 

 

 

 な~んかこうやって文章にすると頭かっちかちの人みたいだな。すべてにおいて論理的思考が必要とは思わないけれど、すればするほど得ではあると思っています(これが間違っていたら損なんだろうけど、今の自分の思考の手続きにおいては得)。まあ僕は割かし要領がよくて、適当に乗り切ってきた(のか?)ことも多いので、いっちょここらで自分と向き合って色々考える時期も必要かな?ということで以上のことを割としょっちゅう考えつつ実践しています。という近況報告。

 

ちなみにこれをブログにして載せる意図としては、1ブログという統一された媒体に残したい(メモ帳じゃダメなのかっていう話はありますが、インターネットに何かを残すべきだという本能があるのでゆるしてネ)、2自分の考えていることを誰かが見て意見をくれるかもしれない、です。以上長々としてたし詰めが甘いかもしれないけどよろしく!